─やろうと思った、いまがチャンス─ こうした自身の経験を元に「一人の力では限界がある」と感じ、より多くの機会創出を願って、シェアオフィスの開設に着手しました。具体的なプランは無いものの「やってみたい!」と口に出すと、協力者やアイデアがどんどん自分の元へ集まって来て、引くに引けない状況になったと杉浦さんは笑います。当初は開設資金の目処はたっておらず、内装工事を業者に任せる余裕も無いため、完全な見切り発車計画をスタートしました。
─内装工事の人手がまったく無い─ それが「全く不安はなかったんですよ」と杉浦さん。「これまでもそうでしたが、何かをはじめようと行動をおこすと、自ずと人が集まってくるんです」という言葉の通り、たまたま旅行で気仙沼にやって来た、浅野翼さんとの出会いが大きな展開をうみます。 転職の合間を利用して旅に出ていた浅野さん。震災後の東北に足を運ぼうとするものの、仕事が忙しく叶わなかったため、3年越しの東北旅行がようやく実現し、気仙沼にやって来ました。 街中で杉浦さんと出会った浅野さんは、お互いに県外出身で地元が近いこともありすぐさま意気投合。浅野さんが一級建築士の資格を持っているとわかり「その日のうちに物件を見てもらい、夜には手書きの内装図面を書いてもらってました」と話します。
─旅人が切り拓く─ 「いきなり、図面を書いて欲しいと言われて驚いたが、嬉しかった」と浅野さん。「ただ被災地を見るだけではなく、自分のスキルを生かして現地の取り組みに貢献出来た事はラッキーだった」と振り返ります。当然の流れで、浅野さんは内装工事が軌道に乗るまで気仙沼に逗留することになり、学生ボランティアや、お互いの交友関係、浅野さんと同じような旅人のスカウトと言った形で、協力者を募り、内装工事が進んでいきました。
─気仙沼で感じた"しごと"の意味─ 「この時代に生きる日本人として、被災地の事をこの目で見ておきたかった」という浅野さん。短い期間ながら、実際に現地の営みに触れた事で「予想外の発見がたくさんあった」といいます。自分の持つ経験を生かして、何かがカタチになり誰かに貢献出来るという体験は、「生きるとは、自らの生業を通して、多くの人たちと何かをつくり上げていく事なんだ」と気づいたそうです。「自分の仕事に、自信を持つきっかけになったし、もっと向上したいという目標も出来た。これからも引き続き東北とは関わって行くつもりです」 (岸田浩和) | | 全体の計画は杉浦さんが、内装作業は、一級建築士の浅野さんが中心となり、ボランティアを取りまとめた。 | | 普段は図面引きが中心なので、現場作業は貴重な経験となった。 | | 古くからあった飲食店の跡地が、シェアオフィスに生まれ変わる。 | | |
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