私も今でこそ白人たちと五分にやりあってますが、ずいぶんと意地悪をされたものです。最初に住んだ白人の町オーハイはいい人が多いのですが、やられました。子供にやられるのが一番腹が立ちました。どの国でも子供が一番残酷で正直です。 通りを歩いていますと、「CP(カラーピープルの略),go home!」と浴びせかけられました。いきなりだと分かりません。何が起きたのだと思いました。それが度重なりますと今度やって見ろと待ち構えるようになります。ゴルフの練習にクラブを三本かついで歩いていた時でした。くだんのガキども二人が父親の運転するトラックに乗せられて通り過ぎようとしてました。「CP, go home!」と声がかかりました。まってました、とばかりトラックを追いかけました。最初こそ笑っていたガキどもですが、そのうち顔色が変わりました。目の前に信号があったのです。黄色から赤に変わりました。もうトラックの上のガキ二人は大変です。「お父さん、トラックを早く出して」と騒いでいます。しかし、運転席にいる父親には聞こえなかったのでしょう。トラックは止まったままです。追いつきました。二人をにらみつけました。そして、「Hey,kids say once again!」と声をかけました。信号を渡ろうとしている人たちは何が起きたのか興味深そうです。何人か顔見知りもいます。もう子供たちは泣き叫んでいます。ここまでです。顔見知りの友人に事情を話してゴルフの練習に行きました。 この事件が波紋を起こします。町の人たちに事件はその日のうちに知れ渡りました。中学校の体育の先生にならないかなどの冗談が出たくらいです。一方喜ばない人たちも出てきます。お決まりの屋根と壁に生卵の洗礼です。これが出始めますと危険信号です。さっさとアパートへ越しました。間違っても一軒家には住まないことです。なぜかって?放火です。これは冗談ではないのです。白人の住む町に入った黒人一家がどんな目に会うか。このオーハイでも起きました。一家が焼き出されたのです。犯人はもちろん挙がりませんでした。こんな時、どうするかです。白人が多く住んでいるアパートに越すのです。一軒だけを燃やすのは難しいからです。早速実行しました。 この町を去るのは息子がバークレーに合格してオークランドへ行くことになったからです。田舎に用はありません。多くの友人ができましたが、ここが潮時だと判断しました。その決断をしてからの一ヶ月、白人たちの本音を知らせる数々のことが起きました。「お前の息子がバークレーに合格したのは本当か」。これは息子の友達で仲の良かったジョン・マイケルの母親から浴びせかけられた一言です。母親は教師でした。かなりショックでした。「本当だが、どうかしましたか?」「うちの子はもっと良い学校に入れる。 ジャプ…ニーズには負けないわ」ここにいたって私はぶち切れました。「あなたの子と一緒にしないでくれ。うちのはサムライの子だ」。これは通じませんでした。マイケルは後に麻薬におぼれて死にます。落胆した母親も亡くなったと聞きました。 もう一人は中学校の担任だったテュレサ・オブライエン先生から、「とても信じられない。バークレーの周辺校ではないのか」というさげすみに満ちた言葉を頂きました。周辺校とは有名校の近くにあるカレッジのことです。そこに子供をやってバークレーで学んでいるという親がいるのは事実です。
どんなに仲良くしてもらっても根底に蔑視があることを知りました。蔑視、差別、偏見これらに克つにはどうするかです。それには何でも良いから一番になることでした。野茂英雄が来てくれてどんなに助かったか。アメリカ人をきりきり舞いさせる日本人、これにならないと偏見や差別はなくなりません それともう一つ言わせて欲しいことがあります。それは日本人に対する畏れです。もっと言うなら恐怖感です。このことを忘れて日米関係を推し進めるとなんで?ということが起きます。アメリカ人は真珠湾の恐怖が忘れられないのです。 アーミテージなどの知日派が未だに東京裁判史観を改めないのはアメリカの国益もありますが、戦前のような日本を取り戻されるのが怖いからです。太平洋を渡って戦を仕掛けた国家や民族は居ません。しかも飛行機を作ってですよ。最後はその飛行機で体当たりを敢行するのですから。 このアメリカ人の日本人に対する恐怖心理が分かりませんでした。 こんなことがありました。ゴルフのプレー中に後半の9番ホールにさしかかった時です。9番ホールとかかれた案内杭の上に飲みかけのコーラ紙コップが置いてありました。みなさん、「荒野の7人」という映画を覚えておられるでしょう。その中でジェームス・コバーンという俳優が投げるナイフの妙技をご存じでしょうか。下から放り投げるあれです。あれをやってみたかったのです。 先発組と我々の後発組が合流したところで小枝を拾いました。それで間合いを計って投げてみたのです。 手裏剣の要領です。しかも下手投げです。ポンと音がしてコーラーの紙コップがはじけ飛びました。アッと声が上がりました。偶然です。当たるなんて思ってもいませんでした。「ヘーイ。 みんな見たか」と友達のクリスが叫びます。みんな興奮し始めます。7人が見ていました。もう一度やれです。これは、Baba恐ろし、と喧伝されました。その頃、日本に帰るとお土産に文鎮用に作られた忍者の使う手裏剣を買ってきて中学生に配りました。そして、「いいか、絶対に人に向かって投げてはいかん。これはペーパーウエイ(文鎮)だ。わかったな」「イエス」と答えが返ります。一同を見回して、「時に腹の立つ父親に一発投げてやれ」と冗談を言いますと中学生が笑い転げました。こうして馬場さん人気が出始めました。だけど、そこでお別れでした。なぜなら馬場さんは白人達に恐怖を植え付け始めたのです。いつしかサムライNobuは一人歩きするようになったのです。 傲慢になることは戒めなければなりませんが、卑屈になることはありません。英語のできなかった幕末の訪米団がアメリカ各地であれだけ歓迎されたのはやはり堂々とした振る舞いにあったからだと思います。 私どもの仕事はこれらのことを踏まえてアメリカ人の本当の友人を作ることだと思っています。まだまだ日本人を下にみたいアメリカ人。そしてそうしておかないと安心がならない恐怖感。それを理解し誤解を解いていく作業をしなければなりません。市井であれ財界、政界の有名人であれ、構いません。真実の友人を作る覚悟です。 それらは若い人たちに協力をお願いするしかありません。 着々と道筋はつけていますが実績を挙げているとはまだ言いにくいです。でも日本人を理解してくれる若い友人は確実に回りで増え出しました。 どうかアメリカ人の恐怖心に注目をお願いします。アメリカにとってあまり関係のない靖国神社に対して反対するのかを理解できると思います。日本は二度と戦争をしない国だとアッピールしていきます。お力をお貸しくださいね。 |
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