地震や津波で店舗を失ったいわきの飲食店主や、原発事故で20km圏内からの避難を余儀なくされ人々が呆然と立ち尽くす姿を見た鈴木さんは、地元の人たちが経済的な自立を目指して再挑戦出来る場所を作ろうと考えるようになりました。 「実現する為には、取っ掛かりのハードルを下げることと情報発信を続ける事が大切」と考えた鈴木さんらは、震災1ヶ月後の4月中旬に、早くも「被災した飲食店主が出店できる場所を立ち上げ、復興の拠点とする構想」を対外的に発表します。 「場所も決まっておらず、実際はなに一つ具体的な話しが出来る状況ではありませんでした」と苦笑する鈴木さんですが、これがきっかけとなり、場所探しに難航しながらもいわき駅前のスナック街をまるまる借りる事が出来ました。同年11月のオープン時には、開店準備が間に合わず実際に営業できた店舗が2つしかありませんでした。 今だから笑えますがと言う松本さんは、グランドオープンと銘打った手前、訪れた取材陣の撮影に応える為「空き店舗の鉄板に火を入れて、僕自身がもやしを炒めてその場を乗り切った」というエピソードを教えてくれました。
翌夏には、ビアガーデンと称して各店舗が路地に机を出してオープンスペースで飲食を楽しむ企画で好評を得て、転機を迎えます。「県外のお客さんと地元の人たちが、 ビールジョッキを片手に地元の新鮮な野菜をつまみに交流する理想的な環境が生まれて大盛況だった」といいます。口コミでも噂が広がり、いわきのあたらしいランドマークとして認知が広がりました。 飲食店としてもようやく黒字化してきたそうです。
鈴木さんは、決して明けない夜はないという願いを込めて、「夜明け市場」をいう名を付けました。「報道 を見ていると福島のシリアスなニュースばかりが眼につきますが、実際のいわきはまだまだビジネスとしても余白の部分が多く、 新しい可能性が無数にある」といいます。
地元の飲食店オーナーが、震災後の再出発の場所として入居したり、UターンやIターンで新しい挑戦を始める方が出店するなど、さまざまな思いを持った起業家たちが「夜明け市場」に集って、11の店舗が営業しています。 こうした環境を生かして2013年の7月には、二階の空きスペースにコワーキングスペースをオープンしました。 いわきで新しい事業に取り組みたい方や、起業間もない人たちがスタートアップの拠点として利用してもらえるようにとの考えです。運営母体としてNPO法人TATAKIAGE Japanをスタート。「食」をキーワードに、地元コミュニティーと県外の人材を繋ぐハブの役目を果たすなど、あたらしい展開へと広がっています。
「昭和の長屋のような人間的なつながりで、地元の方と県外の人たちが連携して事業に取り組める理想的な環境になって来た」と話す鈴木さん。願う未来を、自分たちの手で実現させるためにはどうしたら良いのか?と自問しながら、たくさんの人たちと共に挑戦して行きたいと話します。(岸田浩和)
| | 古くから続くスナック街の雰囲気を残しつつ、起業家輩出の起点として機能する飲食店街に変貌を遂げた | | オープン2周年を祝うイベントでは、地産の農作物を販売するマルシェが出展し、賑やかなちんどんやの演奏も。事務局の鶴巻さん(左)も、素敵な衣装でお出迎え。 | | 2階に開設したコワーキングスペースでは、いわき市長を迎えて起業支援についてのディスカッションが行われた。 | | | |
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