寺伝によると、開基したのは法相宗の高僧・日証上人といわれています。大宝3年(703)この地で修行中、宇佐八幡宮のお告げを受け、かなたの海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀りました。このとき、神宮寺として建てられた寺が起源とされています。大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、寺の名を「神恵院」にとし、六十八番霊場としました。その後、明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。同時に八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移されました。以降、「神恵院」は西金堂(2002年に新築)を本堂に、阿弥陀如来像を本尊として今に至っています。
さて、仁王門をくぐり正面にあった20段ほどの石段を登ると、いきなり右手に第六十九番札所である観音寺の本堂、左前方には大師堂がありました。68番を飛ばして先に69番に来てしまったような妙な気分がしましたが、観音寺の本堂・大師堂はスルーして、とりあえず、境内奥にある神恵院の本堂に向かいました。2002年に新築されたという本堂の外観はコンクリートの打ちっぱなし。一般的な寺らしからぬ外観にかなりの違和感をおぼえました。中に入って本堂を参拝後、さらに境内奥の大師堂へ。こちらは超近代的な本堂とは打って変わり、安堵するほど素朴な建物。いつものように参拝した後は、観音寺の本堂へ向かいます。一応書きますが、次の札所は第六十九番観音寺で、寺までの道のりは0kmです。境内を出ることなく、観音寺本堂に到着。神恵院から観音寺は、時間にして0時間、万歩計によると0歩の行程でした。 | | 同、本堂入り口
同、本堂内観
同、大師堂
●今回の歩数と総歩数
六十八番札所・神恵院寺〜 六十九番札所・観音寺
歩数:0歩
一番札所・霊山寺から
総歩数:152万2,290歩 | |
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