2011年3月11日、福島第一原発の一号機が爆発し、さらに二号機、三号機と爆発が続くのではないかという緊迫した情勢のなか、東京の内閣府も東電本社も、今まで考えたこともないようなことが次々と起こり、右往左往していた。 原発が地震に弱いことはよくわかっていて、それだからこそ2006年に原子力安全委員会は、「想定外の事故が起こったら、付近住民は著しい被爆をする」という文書まで出していた。しかし、爆発を想定する研究や、原発での事故訓練、付近住民の退避訓練などを行えば、「原発は絶対安全」から「原発は事故が起こる可能性がある」と政府方針を変えなければならず、そんなことは起こらないと楽観的に思わなければ運転を続けられなかった。 もっともこの問題は、爆発が起こったときの想定が難しいばかりではなく、その影響範囲を特定することも困難であるのだが、だからといって何も対策をしていなかったので、ただただ右往左往するしかなかったのであった。 多くの人は広島での原爆投下について、10万人近くの人が一瞬のうちに亡くなった凄まじい出来事だった記憶しているが、そのいっぽうで原発事故は、原爆と比べて規模が小さいものだと思っているフシがある。 実は広島型の原爆はウランの量が数十キロなのに対し、原発に入れる燃料のウランは100万キロワット級でおよそ100トン、つまり4基で約400トンである。燃料中で爆発性のものはウラン235で、原爆が90%、発電用ウランが4%程度だから、単純に計算してみても、広島型原爆が40キロのウランを使ったとして、40×0.9=36キロ。対する福島原発は400トン×0.04=16トン=16000キロとなり、ウランの量としては400倍を越える。 その他に原発ではプルトニウムなども使うので、おおよそ「発電所の危険性は原爆の数100倍」と考えて良い。そのことが吉田所長の頭をよぎったので、「東日本が崩壊する」と恐れたのだ。実際には西から風が吹いていたので、大半が太平洋に出たが、福島原発から大気に出た放射性物質だけで、100京ベクレル程度と言われている。 日本は37万平方キロメートルの面積を持つが、放射性物質が流れるとすると、その10分の1ぐらいの範囲に拡散すると想定される(東日本で山脈の東側)。そうすると、100京ベクレルを3.7万平方キロメートルで割ることになるので、1平方メートルあたり300万ベクレル程度になる。 土壌の汚染と被曝量の関係から、その被曝量は1年に約90ミリシーベルトに相当する。したがって、その場所に10年ほど住んでいると、約1シーベルトの被曝を受けることになり、この地域で1年に約74000人の方が「致命的発がんか重篤な遺伝性疾患」になる。 この数は通常の自然死に相当する数なので、よって死亡率が2倍になり、しかも年齢によらずに死んだりするという危険を生じることになる。吉田所長が危惧した「東日本が崩壊する」というのは、このことだったのだ。 原子力発電というものは、そこで使う核物質が原子爆弾より格段に多い。爆弾のように瞬時に大量の人を殺すための設計がされていないだけで、ひとたび事故が起これば、その影響は広島原爆の数100倍におよび、また広島原爆では広島市とその周辺だけだったが、福島で原発事故が起きた場合は、東日本全体を心配しなければならないことが分かる。 原発再開論議が続いているが、原発の安全性が確保できるのは、「事故が起こったとき、原爆の数100倍の放射性物質が出ること」「そのことがチェルノブイリと福島で2回起こったこと」をそのまま認識する勇気を持つこと、そしてその時にどうすれば良いかについての合意が得られてこそ、というのは言うまでもないことだ。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿