■国境を越え、世界を目指した先人の知恵 2013年、齋藤さんらは、石巻のサンファンパークで、三陸オイスターフェスティバルを開催します。「複数の生産地に参加してもらい、かきのファンを増やす事が狙いです」と言う齋藤さんは、将来は世界中から三陸に人がやってくるイベントにしたいと考え、オイスターフェスティバルをスタートしました。 会場のサンファンパークは、齋藤さんにとって、思い入れのある場所です。1613年(慶長18年)、仙台藩主伊達政宗の命を受け、ヨーロッパへ渡った支倉常長(はせくらつねなが)らが出帆した帆船「サン・ファン・バウティスタ号」にちなんだ公園です。この出帆の2年前、東北地方は慶長の大震災に見舞われ、沿岸部が大きな津波被害を受けています。「藩主の伊達政宗は、大打撃を受けた東北を建て直すために、稲作の普及に努めたんですよ」と齋藤さん。それが現在の、米どころ宮城となる土台となり、400年経ったいまもこの地に根付いています。「支倉常長が、このタイミングで木造船に乗り、世界を目指したのは、困ぱいする東北の民衆に勇気を与えようという狙いもあったと思うんですよ」 齋藤さんは、当時の伊達政宗が稲作による産業の建直しを成功させたように、かきを中心にした水産を目玉に国内外から三陸にお客さんがやってくる流れを作りたいと考えています。「三陸を、世界に誇れるかきの産地にしたい」と願い、海外の優れた養殖技術の導入や、ベトナムで三陸かきを出す飲食店を開業するなど、国境を越えた挑戦を行っています。
■かき業界存続の為に 2013年暮れ、かきのシーズンが始まった矢先に、齋藤さんは衝撃的な新聞の見出しを目にします。「生食カキ価格低迷 出荷調整」という記事は、かき価格の暴落により,宮城の3カ所の産地でかき剥き作業が一斉中止したと伝えています。 スーパーなどの大手流通は震災後、供給がストップした三陸産のかきの替わりに、他県産のかきを扱い始め、現在も三陸産かきの流通は激減したままです。「一度失った商品の棚は、取り返すのが難しいうえ、原発事故の風評被害もあり、大手流通への販売は非常に厳しい状況」と言います。 実際に仙台市内のスーパーには、地元宮城産のかきではなく、西日本や海外産のかきばかりが並んでいます。
「せっかく立ち上がった三陸のかき生産者が、このままでは再びかきから離れてしまう」と危機感をもった齋藤さんは、大手流通を介さず直接販売や独自流通が可能な飲食店向けに、販路開拓の可能性を見いだします。 「現状は、飲食店でかきが出ても、お客さんは産地までは分からないんです」と齋藤さん。「お店で食べたおいしいかきが、三陸産だったと知ってもらうのが第一歩」と考え、「三陸産かきがあるお店」と書かれたのぼりを作成するプロジェクトを立ち上げました。のぼりの制作費をクラウドファンディングで集め、地元を中心とした東日本の飲食店に1000本ののぼりを配る計画で、広く協力者を募っています。「一人でも多くのお客さんが、三陸のかきに出会っておいしいと感じてくれる事が、最大の投資です」という齋藤さん。「アイルランドでのオイスターフェスティバル見た光景───世界中の人々が、かきを食べる為にそこに集う夢のような光景を、20年後に三陸で実現させますよ」 (岸田浩和) | | フランス式のかき養殖を試験導入する取り組みもスタート。樹脂製の採苗器(奥)を使うと、従来のホタテの貝殻(手前)を使った養殖よりも、作業性が向上しかきの形状も揃う | | 「宮城のかき生産量は、震災前の3〜4割まで回復してきたが、消費が低迷し価格下落に繋がっている」と齋藤さん | | かきの水揚げ(提供写真) | | 石巻の飲食店に配布されたのぼり(写真提供) | | |
0 件のコメント:
コメントを投稿