堤防のすぐそばにある「かとうや」は、津波による大きな被害を受けました。津波は堤防を乗り越え、店は1.7メートルの高さまで浸水。壁は突き破られ、業務用の冷蔵庫も隣の家の敷地へ流されました。震災後、住民の多くが避難し、周辺は空き家が目立つようになりました。そうした中でいち早く店を再開させたのが、美恵さんの父、故・俊一さんでした。「父の代までは出前もやっていて、あっさりとした中華そばが人気でした。津波で一階にある店は、手が付けられない程ぐしゃぐしゃの状態になりました。でも父は『誰かが戻って来ないと、みんな戻って来られない。また人が集まるきっかけにしたい』と、建物を改修し店を開けたんです。」(磯田美恵さん)
営業を再開したのは、2011年12月。ところが一ヶ月も経たない内に、俊一さんは製麺機に巻き込まれる事故で亡くなります。父が元通りにしてくれた店の明かりを消すことは出来ない。当時美恵さんは地元で教師をしていましたが、父の遺志を継ぐため蕎麦打ちの修業をし、去年7月、手打ち蕎麦を出す店として再度「かとうや」を復活させました。
蕎麦のメニューの中でも人気なのが、「肉そば」。麺が見えなくなるほど、たっぷりの豚バラ肉がのっています。肉の旨味が出ているであろう黄金色のつゆを一口飲むと、意外にもあっさりとした味わい。かけやもり蕎麦と違い、「肉そば」には父・俊一さんの作り方を受け継いだ秘伝のガラスープを使っているのだそう。昔からのお客さんにとって、名物だった中華そばの味を思い出させてくれる一品です。
現在荒浜地区では、震災を受けて阿武隈川の堤防のかさ上げ・拡幅工事の計画が進められています。「かとうや」は、店のある場所が立ち退きの対象になったため、今月いっぱいでこの場所での営業を諦めざるを得なくなりました。二度も復活した店ののれんを下ろすー。震災から2年9ケ月経って迫られた、苦しい決断です。美恵さんがお店の今後について語りました。「津波でも流されず、父が頑張って残してくれた店を閉めなければならないのは、とても悔しいです。移転するにしても、場所探しをどうするのか、何年かかるのか。これからの事は白紙状態です。ただ、今のお店には、仮設住宅や引っ越した先から『懐かしいね、かとうやの味だね』ってわざわざ通ってくれる人達もいました。ここでの営業は年内までですが、最後まで出来る限り、お客さんに足を運んでもらえるような蕎麦を打ちたいと思っています。」(平沼敦子)
| | 国産の蕎麦粉を使い、その日の分だけ蕎麦を打つ | | あっさりとした味わいの「肉そば」(850円) | | 父の味への思いが記された貼り紙 | | |
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