KPJは、2011年6月の設立以来、被災した東北3県(岩手・宮城・福島)の子供達が故郷の復興や、日々の移り変わりを写真と文章で記録し、被災の記憶を次世代へと繋ぐプロジェクトとして活動している。参加メンバーの子供達は、被災地をより深く知ってほしいという想いを胸に、独自の視点で被災地の現実を捉え、写真と文章で表現している。特に、KPJの記事はニュースとしての情報だけでなく、彼ら自身が感じた気持ちを大切にしており、そこにはありのままの真摯な言葉が綴られている。 1枚目の写真を見てもらいたい。これは吉里吉里支局の小川留以さん(小5)が撮影したものだ。撮影の後に、この写真を補足するためのキャプションを書いてくれたのだが、そこには彼女の心の有り様が込められているようで、私の心に強く残った。編集前で修正の手が入っていない文章なのだが、ここで紹介をさせてもらいたい。 『「プールはなくなった」私は8月12日に、吉里吉里にある津波で流されたスイミングのプールに行ってきました。どおして、写真を撮ろうと思ったかというと、前に、スイミングのプールにかよっていたので、撮ろうと思いました。去年にあったスイミングのプールがほとんど、あとかたもなくなってしまいました。去年にあったスイミングのプールがとびこみ台とかあったプールが今は、ほとんどあとかたもなくなってしまいました。』 KPJはこれまでの活動として、 2012年に震災1年目の写真集を出版し、今年3月には『3/11 Kids Photo Journal写真新聞』として、岩手・宮城・福島の各3県版を発行。そして3年目となる今年度は「人を取材する」という事を年度目標に設定し、5ヶ月後の写真新聞発行に向けて、日々取材に取り組んでいる。 主催者の後藤由美さんは、この活動の意義を「次の世代に繋げていくのは私たちではなく、彼らの世代です。今回の災害を体験した子たちにしか語れないこと、撮れないものがきっとあるはずです。今は思うようにうまく伝えられない子もいるかもしれません。ですが、その思いを伝える準備が出来たときに、自分たちの写真と文章が残っていて良かったと思える日が来ると信じています。」と語る。 8月10日の第2回東北みらい創りサマースクールに参加した気仙沼支局の佐藤翔太君(2番目の写真)は、来場者からの質問にこのように答えていた。「瓦礫工場の中は地元の人も見た事がない。伝えていくためには僕がやるしかないと思った。」代表の後藤さんの思いは子供達に伝わり、そして未来への日本へと繋がっていく。(塩田亮吾) | | 1年前と同じ構図で撮影に挑戦した、吉里吉里支局の小川留以さん | | 「地元の人も見た事がないから撮らなくてはいけない」(気仙沼支局/佐藤翔太) | | 「祖父達を救った船にありがとうを言いたい」(赤前支局/大久保風香) | | 津波で流された自宅跡地でかつての隣人を撮影した釜石支局の岡道一平君 | |
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