日本は世界トップクラスの平均所得で、貧富の差も小さい。それなのに「危険を冒しても原発を所得の低い地域で行う」「それを隠すために原発は安全という政策で、事故の対策をしない」という論理破綻のまま進んできた。 長く石油コンビナートや、類似の危険なプラントを運営してきた著者の経験によると、「安全第一」というのは本当の意味で「安全第一」ということで、普通の人が考えるように「安全第一は建前で、本当は生産第一」というのとは違う。安全を守るというのは結構大変で、自分の気持ちを本当に「安全第一」にしておかないと、守ることができない。厳しい産業で危険な工場を運転したことがある人は、このことをよく知っていると思う。「安全第一」を実際に実現するには、長い経験が必要なものである。 「安全第一」ということは「事故の可能性がある」ということで、むしろ責任者は「安全だ」という意識より、「事故の可能性が高い」という方向に、気持ちを行っていなければならない。そうしないと、危険個所に気が付かないからだ。 そして「事故の可能性が高い」と思っているのだから、「事故が起こった時、その被害を最小限にするにはどうしたらよいか」も考える。第一に事故の通報だ。事故というのは予兆があるのが普通で、ガス漏れ検知器が作動したり、冷却水が止まったり、瞬時の停電があったりする。 しかし、まだ爆発には至っていない。2011年の福島原発事故では、地震から2時間ほどたった時点で、冷却水が原子炉に行かなくなり、回復ができないことが明らかになった。その時には、まだ原子炉の中には短寿命核種が多いので、中性子による核分裂はほとんどないものの、不安定元素の崩壊による熱が出ている。 だから、夜の9時ごろになると、「すでに回復できないので、24時間以内に爆発するか、大量の放射性物質をベントを通じて大気に出さなければならない。メルトダウンが近い」ということが確定していた。 通常の工場だったら、この時点で地元消防と地元自治体に連絡して、緊急避難計画に基づく避難が始まるところだ。2011年の福島原発事故でも、このことが行われていたら、被害はかなり少なくなっただろう。しかし原発から地元への連絡はなく、所長は東京にいる本社や政府との折衝を行っていた。 爆発によって被害を受けるのは、付近住民の命、従業員の命、東電の収益、それに国の政策であり、また自然に対しては、土壌の汚染、海洋の汚染だ。このうち、何を最優先にするかというと「付近住民の命」であり、それに基づき「本社、政府に聞かずに地元に連絡する」というのが、長い日本の工業の歴史で培ってきた「原理原則」なのである。 工場の責任者、もしくは責任者ではなくても幹部であれば、少しのフライングを怖がらずに地元に連絡するという訓練を受ける。これはかなり勇気のいることだが、「万が一、無駄になっても、会社に迷惑をかけても、地域優先」ということを頭に叩き込んでおく必要がある。 このような日本の工業の常識からいうと、ヨウ素剤の配布は一定の進歩ではあるが、まだまだ前近代的な状態にある。日本の工業でもっとも危険な「原発の運転」が、「レベルの低い安全性」で運転されようとしているのが、川内原発の再開である。 |
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