2014年2月13日木曜日

JALカードアメックス入会キャンペーン/雰囲気最高!一度は泊まりたい老舗温泉旅館をご紹介。沖縄からは琉球王国ゆかりの地を写真満載で【旅まぐ】

2014/02/13 ※サイトで読む 配信中止はこちらから
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【今週の旅の目次】
郷愁の原風景

沖縄、その聖なる気だるさ

まぐまぐからのお知らせ

旅まぐ写真館
 
【編集部より】
 今週の『郷愁の原風景』は「一度は泊まってみたい木造名建築老舗旅館」の特集。『沖縄、その聖なる気だるさ』では、琉球国王ゆかりの地をレポートします。

 それでは今週も『旅まぐ』をごゆっくりお楽しみください。
 
新春お年玉付きアンケート
 

 もちろん近代的なホテルも快適でいいものですが、旅愁を誘うとなると木造の日本旅館に軍配が上がるような気がします。そこで今回は、建物が素敵すぎる三つの宿をご紹介しましょう。

 弘法大師が開湯したとされる新潟県の出湯温泉にあって、創業300余年の歴史を誇る清廣館(せいこうかん)。これぞ温泉宿ともいうべき木造3階建の本館は昭和3年に建て直されたもので、当時の職人さんたちの技を今に伝えています。

 源泉かけ流しの湯は柔らかで透明度も高く、かつては薬用として毎日出荷されていたほど。美肌効果抜群の湯を是非お楽しみください。

 会津若松の奥座敷、福島県の会津東山温泉の名宿として名を馳せているのが向瀧(むかいたき)。昭和9年に建てられ、以来厳しい会津の風雪に耐えてきた木造の本館は、国の有形文化財の第1号物件として登録され、現在も湯治客をもてなし続けています。

 貸切り風呂を含めた全七つの温泉は立ち寄り湯は不可。楽しむためには投宿するしかないのですが、江戸期には会津藩士たちも疲れを癒したというほどの泉質、試さないわけにはいきません。というわけで泊りがけでごゆるりとどうぞ。

 維新の元勲・伊藤博文が名付け親の宿として知られる箱根塔ノ沢温泉の環翠楼(かんすいろう)。篤姫や島崎藤村も訪れたこともある由緒ある日本旅館です。

 大正時代に宮大工により作り上げられた総もたせ造りの建物は「再現不可能」として、向瀧と同じく国の有形文化財に登録されています。随所に残る大正の香りを巡る館内散策もおすすめです。

 お湯と歴史と木のぬくもりを味わう──、そんな旅に、あなたも出かけてみませんか?

■ 清廣館
「日本秘湯を守る会」の会員宿。
全12室、そのすべてにゆったりとした時間が流れています。
■ 向瀧
「雪に灯りの花が咲く」という雪見ろうそくが見事。
3月1日までの期間限定ですからお早めにどうぞ。
■ 環翠楼
大正時代に輸入されたタイルが敷き詰められている「大正風呂」。
源泉に一番近い湯で心も体もリフレッシュ!
 
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『内間御殿(ウチマウドゥン)』沖縄県中頭郡西原町
 
 本島中部・西原町嘉手苅の裏通りに、鬱蒼としたフク木に囲まれた内間御殿(ウチマウドゥン)という住居跡があります。かつて、ここに住んでいたのは、内間地頭(内間村をおさめる役人)であった金丸と言う人物。
 
 実はこの金丸、後に第二尚氏王統の初代王となる尚円(1415〜1476)その人です。尚円王の死後、ここは第二尚氏ゆかりの地として、住居跡の聖地化がはかられ、17世紀に茅葺きの神殿(東江(アガリィ)御殿)が建設されました。  

 その後、西江(イィリィ)御殿が築かれ、屋根を瓦葺きに、竹垣を石垣に変えたりしながら、尚敬王(在位1713〜51年)のときには、石造の先王旧宅碑が造られて聖地として完成。

 戦前までは、東江御殿と西江御殿の二つの瓦葺神殿も残っており、それぞれ御殿守と呼ばれる人々によって管理されてきました。

 しかし沖縄戦によって建物や内間御殿の由来が記された先王旧宅碑(1738年建立)は壊されてしまったそうです。ところで、内間御殿の主、金丸は本島の北に位置する伊是名島の出身。容姿端麗で色は白く、頭の良かった金丸は村の娘から人気がありました。

 伊是名島には、村娘が畑仕事をする金丸を隠れて見ていたという歌が今も残っています。金丸が24歳の時、村に干魃が起きました。ところが、金丸の田だけは水がいっぱい。  

 村人は金丸を水泥棒と決めつけました(実は、村の娘たちが夜中に金丸の田に水を運んでいたとのことで、かなりのモテ男だったよう)。命の危機を察した金丸は妻と9歳の弟を連れて本島北部の宜名真(ぎなま)村へ逃げました。

 ところが、ここでも同じ事が起き、金丸は妻と弟を置いて本島中部の越来(ごえく)へと逃げます。ここで当時の越来王子(後の尚泰久)は金丸をとても気に入り、自らの配下に登用します。

 一介の農民がこのようにとりたてられた理由のひとつは、金丸が日本語に達者であったことだと言われています(伊是名島には大和人が来ていた可能性があり、色白であった事から大和人と島民の間にできた子供だったとの説もあるようです)。

 その後、首里へ派遣された金丸は、尚泰久が王へ即位すると、御物城御鎖之側(オモノグスクウサシノソバ)という重職に就任しました。尚泰久王の没後、三男の尚徳(しょうとく)が王へ即位。ところが政治経験の浅い尚徳は金丸と意見を対立させるようになります。  

 尚徳王が22歳の時、貢納しない喜界島を遠征する際、金丸は強く反対しますが聞き入れられず、金丸は内間へ隠遁します。そう、そのときの住居が内間御殿だったのです。


 尚徳は27歳で亡くなり、次期王を決める大評定で、安里大親と言う人物が『物きゆすど我が主。内間御殿ど、我が御主』と発言。つまり、現在の王統(第一尚氏)よりも、金丸こそが王にふさわしいと発言したのです。


 評定はひっくり返り、旧臣や王族は驚いて逃げましたが、捕らえられて処刑されました(クーデターそのものだったといっていいかもしれません)。その後、金丸は内間御殿で迎えられ、首里城へ。名前を尚円と改めて新しい王統を創ることになります。

 さて、先ほど書いたように内間御殿の2つの瓦葺神殿は沖縄戦で焼失し、現在はトタン葺の簡素な神屋が建っているのみですが、少し荒い霊気が漂っているとても神秘的な場所でした。所々に崩落があるものの、琉球石灰岩を相方(あいかた)積みにした石垣は当時のままだそうです。

 村落における祭祀の定着にともなって、周辺には拝所などもできており、沖縄における祭祀信仰の実態を知るうえで重要とされ、2011年(平成23)には国の史跡に指定されました。
 

 また、敷地には樹齢450年以上で天然記念物のサガリバナ(和名・サワフジ)があり、6月から8月の開花時期には、サワフジ祭りが開催されているとのこと。夕方から花が咲き始め、明け方には散ってしまう不思議な特徴をもった花で、まるでバニラのような甘い香りがするそう。


 

 400年あまり続く第二尚氏王統の基礎を築き上げた偉大な王・金丸。現在へとつながる「琉球文化」を花開かせる端緒となった金丸。一方で、「肝高の阿麻和利」でも策士として裏で王府をあやつったとされ、小説「百十踏揚」でも黒幕悪役っぷりを描かれる金丸。真実は分かりませんが、金丸がかつて住んだ空間で壮大な琉球歴史ロマンにひたってみませんか。那覇空港から約40分で行けますよ。

伊波 一志(いは かずし)
1969年、沖縄生まれ。写真家。香川大学法学部卒。
2007年夏、44日間で四国八十八カ所1,200kmを踏破。現在、沖縄県在住で、主に『母の奄美』という作品撮りのため奄美大島を撮影中。家族は、妻と三人の子。

 
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旅まぐ写真館

読者の皆さんと一緒に作るコーナー『旅まぐ写真館』。
今週はbonkuraさんからの投稿です。
北海道の函館駅で撮影した1枚。
素敵なお写真、ありがとうございます。


『旅まぐ写真館』では、毎週1点を掲載させていただきます。
皆さんが旅先で撮られた渾身の1枚をお送りください。
素敵なお写真、お待ちしています。
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