2014年10月16日木曜日

ご希望限度額300万円以下所得証明書不要/秋本番、絶景紅葉フォト満載!露天風呂にも赤い葉が。沖縄からは観光ガイドに載らない穴場を【旅まぐ】

2014/10/16 ※サイトで読む 配信中止はこちらから
旅まぐ
まぐまぐ!はオフィシャルメールマガジンをお届けすることによって
無料でメールマガジンを配信するシステムを提供しています。
■ご希望限度額300万円以下所得証明書不要 [PR]
ご希望限度額300万円以下所得証明書不要
【今週の旅の目次】
◇ 郷愁の原風景
◇ 沖縄、その聖なる気だるさ
◇ まぐまぐからのお知らせ
◇ 旅まぐ写真館
 
【編集部より】
 10月も折り返し地点、街もすっかり秋の装いですね。今回の『郷愁の原風景』では皆さんに日本の秋を満喫していただきます。沖縄からのレポートも写真満載でお届け。
 それでは今週も『旅まぐ』をごゆっくりお楽しみください。
郷愁の原風景

 絶佳の紅葉をたとえる美しい言葉、錦繍(きんしゅう)。今、まさに列島は錦繍の秋を迎えつつあります。今回は東日本随一の紅葉スポット・栃木県は日光の旅へと皆さんをご案内します。

郷愁の原風景  男体山、中禅寺湖、華厳の滝を一望のもとにできるのは「明智平展望台」。第二いろは坂の終点近く、明智平からロープウェイでほんの3分ほどでアクセスできてしまう、日光一とも言われる眺望を誇る絶景ポイントです。空気が澄んでいる日には太平洋まで見渡せるというから驚き。訪れて絶対に損はない、そんなスポットに是非あなたも。

 飛び散る水しぶきが、あたかも霧がかかっているかのように見えるのがその名の由来となった「霧降ノ滝」。華厳の滝、裏見ノ滝とともに日光三名瀑のひとつに数えられています。

 江戸を代表する浮世絵師・葛飾北斎も描いたという名勝がカエデやナナカマドに彩られる様は、まさに壮観のひと言。マイナスイオンもたっぷり浴びられるのでリラックス効果も期待できてしまうという、なんとも贅沢な紅葉の名所です。見ごろは例年10月の下旬ごろまで。滝の正面に位置する観瀑台からその素晴らしい眺めをご覧ください。 郷愁の原風景

 アクティブに紅葉を楽しまれたその日の晩は、温泉に浸かりホッとなさってはいかがでしょうか。オススメは「奥の院 ほてる とく川」。

郷愁の原風景
写真提供:奥の院 ほてる とく川
 東照宮にほど近いこちらの宿の一番の"おもてなし"は、手入れのよく行き届いた広大な日本庭園と、四季彩豊かな露天風呂。そう、この時期は赤く色づいた木々を愛でながら温泉を心ゆくまで堪能できるのです。目には紅葉、耳にはすぐ傍を流れる清流のせせらぎ──。お風呂上りには、宿自慢の"日光懐石料理"が待っていますよ。

 「錦繍」の本来の意味は、「錦と刺繍をした織物」(三省堂 大辞林)。美麗な織物を広げたような日光の秋を訪ねる旅に、あなたも出かけてみませんか?

オススメ旅情報
オススメ旅情報 ■ 日光旅ナビ
日光市観光協会公式サイト。
モデルコースなども充実してます。
オススメ旅情報 ■ すごい日光ファンサイト
日光ブランド協議会が運営するサイト。
「観光情報誌では語られない日光の魅力を掲載」だそうです。
オススメ旅情報 ■ 奥の院 ほてる とく川
本文中でご紹介したとく川公式HP。
館内ギャラリーの写真は観ているだけで癒されそう。
■言葉の壁が…そんな英語の悩み解決法公開! [PR]
言葉の壁が…そんな英語の悩み解決法公開!
沖縄、その聖なる気だるさ
浦添城 浦添ようどれ(浦添市仲間)
 今回ご紹介したいのは、沖縄県浦添市にある長さ約400メートルの隆起珊瑚礁の断崖の上に築かれた浦添城(特にその中にある王凌・浦添ようどれ)。ただし、現在は城とは言っても首里城のように建物があるわけではなく、厳密には城(グスク)跡です。

 浦添グスクは13世紀ごろ築城され、15世紀までに英祖王や察度王などが居城としたといわれています。14世紀に中国や東南アジアとの交易で栄えた浦添は、王都として整備され、首里の原型となりました。

沖縄、その聖なる気だるさ  15世紀の初めに王宮が首里城に移転し、浦添グスクは荒廃しましたが、その100年後に、浦添出身の尚寧王が再び居住。城内の建物は再三にわたり改築されているのがわかっていますが、最後のものは1609年、慶長の役に伴う薩摩軍の侵攻に遭い焼失したそう。

 ちなみに、浦添グスクは、防衛に適した地形(北は急崖で、南は緩斜面)から、沖縄戦では日本軍の重要拠点とされた激戦地、戦跡のひとつでもあります。米軍との間で前後11回にわたる激しい争奪戦、攻防戦が約3週間の間繰り広げられたとのこと。

 さて、台風19号が接近する直前に久しぶりに浦添グスクをたずねてみました。
まず浦添グスクの北側の断崖にある王凌「浦添ようどれ」へ。

 「ようどれ」とは琉球語で夕凪、死者の世界、墓という意味で、ここに英祖王と尚寧王が眠っています。13世紀後半に英祖王が築いたといわれ、その後、14世紀後半〜15世紀前半に石垣がめぐらされました。さらに1620年には、浦添出身の尚寧王が改修し、自らもここに葬られています。 沖縄、その聖なる気だるさ

 ようどれの頂から墓庭へは、まず急坂の石畳道を下り、かつてはトンネル状の通路であった暗しん御門(くらしんうじょう)を通って二番庭(にばんなー)に出ます。そして中御門(なーかうじょう)と呼ばれるアーチ門をくぐりぬけて、墓室のある広い一番庭(いちばんなー)にいたります。

 ここで墓を目にすることができるのですが、墓室は自然洞窟を堀削し全面を石積みで塞いだつくりです(沖縄の墓造りの原型になったとも考えられています)。西室(向かって右側)が英祖王、東室(左側)が尚寧王の墓といわれています。

沖縄、その聖なる気だるさ

 墓室の中には、中国産の石で作られた骨を納めるための石厨子があり、仏像などが巧みに彫刻されているそう。去る沖縄戦で、浦添ようどれの石積みは大きく破壊されましたが、戦後琉球政府によって墓室が修復され、平成12年〜17年には墓庭の石積みが復元されました(戦前、破壊される前のようどれには荘厳な雰囲気が漂い国宝候補にあげられていたようです)。

沖縄、その聖なる気だるさ  それと同時にオープンした資料館「浦添グスク・ようどれ館」(グスクから約100m離れた場所にあります)では遺構から出土した遺物などが展示され、墓室内をリアルに実物大で再現した部屋があります。ここでは、墓室内の様子や王の骨が入った石厨子のレプリカを見ることができますよ(必見)。

 「浦添ようどれ」を堪能したあとは、崖の上へ。前述したように城の建物はなく城壁が少々残るのみで、木の生い茂った公園のようなたたずまい。ただし、あなどることなかれ。展望台からの風景はおすすめです。

 360度のパノラマで首里方面や牧港の海すべてが見通せます。なぜか、ここに立っていると、最初に築城した王様の気持ちが分かる気が。さあ、あなたの想像力次第では、800年前の琉球王の気持ちになれるかもしれません。浦添城、浦添ようどれぜひ一度足をお運びください(観光客はほとんどいません)。 沖縄、その聖なる気だるさ

 場所は安波茶交差点を牧港方面へ約300m、「浦添城跡(ようどれ)」の看板を目印に右折して約450m。バスを利用される場合は、那覇バスターミナル経由55系統を仲間バス停で下車、看板を目印にして歩くとたどりつけますよ。
伊波 一志 伊波 一志(いは かずし)
1969年、沖縄生まれ。写真家。香川大学法学部卒。
2007年夏、44日間で四国八十八カ所1,200kmを踏破。現在、沖縄県在住で、主に『母の奄美』という作品撮りのため奄美大島を撮影中。家族は、妻と三人の子。
まぐまぐ!からお知らせ
http://i.mag2.jp/r?aid=a543cfd53891e9

≫ 解禁間近!超希少な白ボジョレーも数量限定販売

数々の地震発生を予測し的中させたメディアで話題のメルマガ!

≫ 数々の地震発生を予測し的中させたメディアで話題のメルマガ!

PR MOTTAINAI
旅まぐ写真館
 
読者の皆さんと一緒に作るコーナー『旅まぐ写真館』。
今週は酒と泪とドライアイさんからの投稿です。
流れてきたのは、、、これは見事なお寿司っ!!
九州の海の幸ですから、それは新鮮に違いない!

 
旅まぐ写真館
 
『旅まぐ写真館』では、毎週1点を掲載させていただきます。
皆さんが旅先で撮られた渾身の1枚をお送りください。
素敵なお写真、お待ちしています。
facebook ツイートする
 
写真を投稿する
 
【応募要領】
(1) ペンネーム(本名でも可)
(2) 撮影場所
(3) 撮影日時
(4) コメント(140字以内)
上記内容を記載の上、メールにてご投稿ください。
(写真データのサイズは1MB以下でお願いします)
 

■英語を気軽に外国で話せる自分になりたい方へ。英語ノウハウ無料公開! [PR]
英語を気軽に外国で話せる自分になりたい方へ。英語ノウハウ無料公開!
トップに戻る
 
【旅まぐ】 2014/10/16号(毎月第1・3・5 木曜日配信)
配信中止はこちらから
メールアドレスの変更はこちらから
ご意見&ご感想はこちらから
 
発行元 株式会社まぐまぐ
広告掲載をご検討の方はコチラよりお問合せください。
配送技術 株式会社アットウェア
 
「まぐまぐ」は株式会社まぐまぐの登録商標です
株式会社まぐまぐは、プライバシーマーク認定企業です
まぐまぐ
 

0 件のコメント:

コメントを投稿