男は、とかく仕事とスポーツを近しいものとしてとらえます。いぶし銀のプレイヤーのことを「仕事人」といい、仕事への意気込みを「全力投球」などと語るのは、男だけです。 小さい頃から野球やサッカーなどのチームスポーツをする機会が多い男たちは、そこでみっちりと「チームプレイ」「全体意識」をたたき込まれます。高校野球などはまさに象徴的。監督がバントしろと言ったら、文句を言わずにバントをする。「バントなんてつまらないから、打ちたいです」などとは当然言わない。その結果、チームが勝ったらわがことのように大喜びする(というか、できる)。多かれ少なかれ、そういう「スポーツOS」をインストールされている彼らは、大人になってから始める仕事にも、同じノリで取り組むことになります。「犠牲」と「勝利」を重んじ「信頼できる指揮官の下、チーム一丸となって勝ちに行く」のが、男の大好きなモチベーションです。 そんな彼らですから、サッカーの試合を見ていても冷静ではいられません。フィールドを必死に駆け回る選手を、自分とついつい重ねてしまうのです。疑問の残る監督の采配には本気で腹を立て、体を張って愚直にディフェンスする選手には過剰な共感を抱く。無残な負け方をしようものなら心から落胆し、涙を流すことも珍しくありません。 いっぽうで女たちは、仕事にしてもサッカーにしても、そんな風にとらえることはありません。男に比べるとスポーツOSではない ので、上司から「わがままを抑えて、チームプレイに徹しろ」と言われてもピンときません。男たちのチームプレイが「それぞれの役割をまっとうし、チームを勝利に導く」ことだとすれば、女たちのチームプレイは「みんなで仲良く、円滑に仕事を進める」こと。「やりがい」と「過程」を重視し「雰囲気のいい職場で楽しく働く」のが、女のモチベーションです。 ですから当然、サッカーを見るときに選手と自分を重ねたりはしません。サッカーはサッカー。感動を与えてくれるエンタメに過ぎず、4年に一度のお祭りなので応援はしますし、勝ったら勝ったでうれしいですが、負けたとき、男たちのように「わがことのように」悔しがる習慣はないのです。 大会期間中、職場のあちこちで「昨日のコロンビア戦みたいに、足を止めないでみんなでボールを追おうぜ」だの「このチームに本田は何人も要らないんだよ!」だの、サッカーになぞらえた比喩が多く聞かれることでしょう。「俺たちも世界に誇れる仕事をしよう!」と盛り上がる男たちに対して、正直乗り切れないものを感じつつも「そうだよね〜!」と笑顔で合わせる女たち……。これなどもまた極めて日本らしい、チームプレイといえるでしょう。 |
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