今日は私の最大の関心事でありました子供をバイリンガルに育てるにはどうすればいいかということをテーマにしてお届けします。 バイリンに育って欲しいと親は思って子供を駐在に同行させます。しかし、子供には負担ばかりが増えて結局どっちつかずになって帰国するというのがあります。 私はかつてUCI, CAL Fullertonの両大学で語学講座の講師を務めたことがありました。大学のプログラムですからバイリンガルになるための物ではありません。でもとても有意義でアメリカ人の学生やアジアからの留学生とに囲まれての講義はなかなかスリリングでありました。ここで流ちょうに日本語を話す学生に会うことがありました。きっと母親か父親が日本人なのだろうと勝手に想像していたのですが、見事に裏切られることがありました。「両親とも日本語を話しません。家族に日本語を話す人はいません」と言われて首をかしげてしまった経験が一度や二度ではありません。一般の語学を学ぶ学生とはあまりに違うのです。その差はどこからくるのか。この謎がずっとこびりついていました。 さて私の言うバイリンガルとは日米両語をごく自然に母国語のように話すというバリンガルです。あの奇妙な日本語をしゃべる外人さんとは一線を画してください。見事な日本語をくり、見事な日本語を書かれる方が居ます。そんな方のことをさします。日本人の子供で見事な英語をしゃべり、英文を書く子供に育てるにはどうするかです。そんなことが可能なのか、またそれにはどうするのか、ということです。 厳密なバリンガルはある意味、不可能という人がいます。逆にある条件下では可能だと言う人もおります。 不可能説を開陳してくれた最初の人物は元CIAの要員で気象問題から諜報関係に入った日系二世ケン・YM氏でした。現在アルツハイマーを発病して面会はできませんが、調子の良いときは電話口に出てきてくれることがあります。しかし、話した内容はすべてわすれてしまうという状態だそうです。 私が親しくしてもらった頃に話してくれたご自分の体験では無理だと言われる。氏はアメリカ生まれです。しかし、父親が日本に帰国するのに連れて一緒に日本へ。広島で成人し広島高専(現広島大工学部)で被爆。戦後、一番の帰国船でアメリカへ戻った方です。それから英語を学ぶあめの苦闘が始まります。 「アメリカ兵がいかに下劣な英語を日本人の子供に教えていたかと言うことを知ります。アメリカ人の英語がとにかく聞き取れない。でも勉強だけは負けないですからUCLAに進学、その時、朝鮮戦争が勃発します。成績の悪いのから徴兵されました。命が比較的安全なのは語学兵ということで呼ばれまして「天声人語」を英訳させられます。それで合格して語学兵として朝鮮へ。即席の朝鮮語を学ばされました。英語と朝鮮語です。捕虜になった北朝鮮兵を尋問するのです。辛い仕事でした」 そんな話をしながら語学の大変さを語ってくれました。 反対にこうすれば良いと言われるのはアーバイン市で日本語学園を経営する原・シンシア先生は「家庭の取り組み方で変わります。夕方からは一家は英語から日本語に切り替える。翌朝8時を期して英語にという風にしている家庭のお子さんはバリンガルに育っていきます。これも片親がアメリカ人の場合は難しいのですが」と言われます。これは私の家でも同じことがありました。私たち夫婦は24時間日本語で通したのですが子供達は一度、外に出るとすべて英語でした。家に帰ると日本語の世界が待っています。変な日本語をしゃべろうものなら拳骨が飛びました。 アメリカの学校にいるのですからアメリカの文化を学ぶのは学校でと思うのですが、それだけでは足りません。映画やテレビを見せ、スポーツ観戦なども必要になります。これは日本に来たアメリカ人の子供さんもそうです。沖縄などの基地にきている米軍人のお子さんで流ちょうな日本語をしゃべるのがいます。もったいないですね。日本に興味の生まれたお子さんを何とか取り込みたいと思うのは私だけでしょうか。 |
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