ドログバ選手は、5歳の時、コートジボワールからフランスに渡った。プロ選手の叔父に預かられることになる。だが、この渡仏は、貧困が理由でもなければ、サッカー選手になるための選択でもなかった。当時、銀行員だった父のアルベール・ドログバが、幼い息子を海外に送ったのは、将来、良き人生を歩めるよう、いい教育を受けさせたからだった。 後に、自らもフランスに渡った父は、息子の学業成績が下がればサッカーを禁じ、上がればまたサッカーをすることを許した。だから、「しっかり勉強して、医者か何かになって欲しかった。サッカーは、遊びでやる程度のことだと思っていました」。とインタビューに答えている。しかし、サッカー選手としての才能を開花させ、結局、医者でも弁護士でもなく、ドログバ選手はサッカー選手として成功を収める。富と名声を手にし、祖国コートジボワールの英雄の地位を得た。 そんなドログバ選手は、2002年の日韓ワールドカップに、フランス国籍を持ち、フランス代表としても出場可能だったのにも関わらず、コートジボワール代表として出場することを選択した。2002年当時、選手間には派閥的な亀裂が存在し、チームはモラルを問われていた。しかも、国は政情不安。結局、ワールドカップへの出場を逃したが、そんな逆境の中でチームを建て直し、2006年ドイツ大会の本大会出場を決めた。それが、コートジボワール代表にとって、初のワールドカップ本大会出場。同じ国内で国民が殺し合う内戦が続いていたコートジボワール国民に、希望の光を照らしたのである。そして、「ドログバは大統領よりも力がある」、「フランス軍よりも国連平和維持軍よりも実績がある」と賞賛され国民の英雄となった。 2010年の雑誌TIMEによる「世界で影響力のある100人」にも選ばれ、クリントン元大統領やレディーガガとともに表紙を飾った。 そのほかにも、ドログバ選手は祖国への惜しみない貢献活動を行っている。2012年には『ディディエ・ドログバ基金』を設立。病院の貧弱な設備、悲惨な状況にある子供たちを救うために、アビジャン郊外に病院を建設中。コートジボワールの他の都市にも病院を建設する予定であり、マラリアの撲滅運動にも参加している。恵まれない子供たちを招待してのチャリティーも開催した。 チャリティーに参加したある子どもは、こう述べた。「神様、コートジボワールにディディエ・ドログバという人を与えてくれて、ありがとう」。子供たちとの交流に、ドログバ選手は涙したという。 そんなドログバ選手も、今36歳。おそらく今回が選手としては、最後のワールドカップになる。祖国の平和のため、子ども達のため、ドログバ選手がどれほどの思いで戦い続けてきたのか、コートジボワールの代表選手たちは、誰よりも間近で感じとってきただろう。 ドログバ選手の掲げた『ビジョン』が、コートジボワールの未来を変えようとしているのだ。だから、あの試合、後半17分にドログバ選手が投入された直後に、大逆転劇が生まれたとんじゃないだろうか。 残念ながら日本代表には、ドログバ選手ほどの『ビジョン』や使命感を背負った選手はいなかった。そういう試合だった。 そういえば、日本でも、1995年の阪神・淡路大震災阪神大震災後、プロ野球で神戸が地元のオリックスがリーグ優勝、翌年にはリーグ2連覇し、球団として19年ぶりとなる日本一になったことがあった。昨年も、東北楽天ゴールデンイーグルスが、チーム創設以来初となるリーグ優勝。そして日本一になったが、この背景に、東日本大震災からの復興のため・・・という思いがあったことは明らかだ。 どうやら、自分のためだけに頑張るよりも、誰かのために頑張ると、人間は、人種や民族の違いに関係なく大きな力を発揮できるのかもしれない。 |
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