冷泉 彰彦 現在、プリンストン日本語学校高等部主任。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を隔週寄稿。「Newsweek日本版公式ブログ」寄稿中。NHK-BS『cool japan』に「ご意見番」として出演中。 アメリカ北東部のプリンストンからの「定点観測」『冷泉彰彦のプリンストン通信』では、政治経済からエンタメ、スポーツ、コミュニケーション論まで多角的な情報をお届け! | 正にこの2007年から08年にかけての「オバマ対ヒラリー」の予備選は、大変なドラマでした。民主党内でも「風」が何度も変わりましたし、「スイング」ということも起きました。 では、オバマとヒラリー、それぞれの支持基盤はどうだったのでしょうか? まずオバマですが、30代以下の若者、都市票、有色人種票をガッチリ固めていました。これに対して、ヒラリーは中高年、地方の保守、白人票を中心に選挙戦を戦って行きました。 お互いのポジションですが、オバマは「イラク戦争反対」「国際協調」「反テロ戦争の終結」という主張、これに加えて「医療保険改革では厳格な皆保険制度ではない、ややマイルドな案」を掲げていました。 一方のヒラリーは「アメリカの安全を防衛する」という点では「ややタカ派より」のポジションを取りつつ、医療保険などの社会制度では「オバマよりも左」つまり「オバマよりもずっと大きな政府論」の立場でした。 両者が激しく衝突したのは、例えばペンシルベニア州で、フィラデルフィアとかピッツバーグといった都市部ではオバマが強かったのですが、広大な酪農地帯を抱える農村部では、ヒラリーが「父親の故郷」ということもあって、泥臭いドブ板をやって行ったのです。 この時のヒラリーは「オバマはバスケットボールの部活ばかりやっていたエリート」であり「孤独な白人がボウリングに楽しみを見出しているような庶民文化には縁のない人」だというムチャクチャな「ネガティブ・キャンペーン」をやったり、「自分は銃という文化を理解している」などといって、ライフルを掲げて見せたり、民主党内の「保守派」をガッチリまとめています。 このペンシルベニアは結局ヒラリーが取っており、それが予備選がドロドロの泥試合になるまでもつれる結果となりました。 その怨念にも関わらず、オバマ政権1期目の国務長官にヒラリーは就任して4年間を完走しています。それはともかく、2016年は仮にヒラリーが出る場合は、そんな激しいバトルは必要なさそうです。 |
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