冷泉彰彦 現在、プリンストン日本語学校高等部主任。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を隔週寄稿。「Newsweek日本版公式ブログ」寄稿中。NHK-BS『cool japan』に「ご意見番」として出演中。 アメリカ北東部のプリンストンからの「定点観測」『冷泉彰彦のプリンストン通信』では、政治経済からエンタメ、スポーツ、コミュニケーション論まで多角的な情報をお届け! | まさにご指摘の通り「日本独特なもの」であるように思います。 まず、基本には「政府への不信感」というものがあります。政府というのは、権力を与えると暴走するし、まして「秘密を保持する権利」などを与えると「ロクなことしない」という思想と言いますか、一種の固定した態度があるわけです。 これは、そもそも江戸時代に遡る「お上と庶民」あるいは明治期の「藩閥と自由民権」あるいは「政友会的な開発独裁と社会主義」などの対立パターンを繰り返す中で日本の文化の奥にまで根を張っているように思われます。 更に第二次大戦における「敗戦経験」がこれに加わっています。つまり、無能な政府に過剰な権限を与えると、最後は国が滅びても権力者のメンツを優先するような話になる、つまり自分の国の政府によって自分達が殺されたという経験です。これによって、人間の持っている危険回避本能と権力への嫌悪という感情が深く結びついて、いわば化学反応によってできた化合物が結晶するかのように、固定化したのだと思われます。 こうした「権力への嫌悪」というのが世論の一部に強固に存在することは、反対に権力の側には過剰な警戒心をもたらすこととなりました。つまり、権力を行使する官僚機構と、それに間接的に関与している与党政治家というのは、正に開発独裁国の権力者、あるいは社会主義的な閉鎖的官僚機構に見られるような猜疑心と警戒心、そして権力機構としての自己防衛本能が生まれているわけです。 今回の特定秘密保護法においても、一定の年限を超えたものは開示して歴史の審判に委ねるという思想が弱いのと、秘密を指定する際のダブルチェック機能にどうしても透明性が付与できていない点に関しては、このような「権力への嫌悪」の視点と、その視点からの権力の防衛本能という不幸な対立を見ることができるように思われます。 要するに「国のかたち」が不安定なのです。権力も反権力も過剰であり、また思想と現実を行き来するダイナミズムに欠け、結局はその両者の対立する「綱の引っ張り合い」の緊張感と「それでも綱が微動だにしない」バランスの中に「国体=国のかたち」があるということなのです。 今回の特定秘密保護法をめぐる騒動には、この「国体の不確かさ」ということが如実に反映しているように思います。それは正に日本の特殊性に他なりません。 |
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