2014年12月18日木曜日

審査が不安?スピーディー対応!当日融資も/野党分裂の裏に仰天のスパイ工作説!?他では読めない真の情報を無料でお届け!【ちょい見せまぐ!】

2014/12/18 ※サイトで読む 配信中止はこちらから
ちょい見せまぐ!
まぐまぐ!はオフィシャルメールマガジンをお届けすることによって
無料でメールマガジンを配信するシステムを提供しています。
 
■審査が不安?スピーディー対応!当日融資も [PR]
審査が不安?スピーディー対応!当日融資も
 
今回のちょい見せ LINEUP!
 ≫ 『ウラに他党のスパイ工作が』 山口敏太郎
 ≫ 『実は自民圧勝ではなかった衆院選』 志葉玲
 ≫ 『しがない軍事アナリストでなんとかやっております』 小川和久
ちょい見せ! その1
 
ちょい見せ! その1
山口敏太郎のサイバーアトランティア
〜世界の陰謀・オカルトの真実
 
野党の自滅は偶然ではない!
【ウラに他党のスパイ工作が】
 
 衆議院議員総選挙は自民党の大勝利に終わった。自民党内部の人間のリークによると、実はこの大勝利、自民党内部でも意外すぎる程の結果であり、もう少し苦戦すると予想されていたようだ。

 今回の野党の失策は、野党同士がいがみ合い、互いに潰しあって自滅したことによるものだという。だが、この野党の自滅、ただの偶然ではないとされている。

 まずは「みんなの党」の分裂だがこれは、あくまで噂レベルの情報であるとリスクヘッジを行っておくが、他党のスパイの工作によるものだという。その工作を行った某党は、「みんなの党」の残党を合法的に吸収するために、渡辺代表のスキャンダルを暴露させ党首から引きずり下ろし、その後解党するという工作を行った。無論のこの一連の動きに必要な金は、その某党から出ているという。

 維新の分裂も他党の謀略だという。維新を混乱させ、イメージダウンさせるために行われた分裂騒動であったようなのだ(もっとも、太陽の党系列の議員と維新の議員が遅かれ早かれ分裂したはずであるが…)。なお、石原慎太郎が落胆したのは、健康問題だけではなく信じていた人間のスパイ工作であり、人間不信から過度のストレスを抱えてしまったからだとされている。

 ちなみに各政党には、様々なスパイ議員がおり、自民党などは全政党のスパイ議員がいるというのだ。また、今回躍進した共産党は定期的に自民党議員と連絡をとっていると噂されており、"第二自民党""自民党別働隊"と揶揄されている。結果的に自民、公明の与党二党と、永遠野党の共産党だけが勝ったわけだ。
 
お試し読みはこちら>>
 
●山口敏太郎のサイバーアトランティア〜世界の陰謀・オカルトの真実
http://www.mag2.com/m/0001368191.html 
登録料:\777(税込/月額) 毎月第1〜第4火曜日
山口敏太郎がついに本音を語る、テレビや雑誌で表現できないネタを連発!あまりに危険すぎる○○な話をお届けします。
 
■本日限り!今日しか買えない激安アイテム [PR]
本日限り!今日しか買えない激安アイテム
 
ちょい見せ! その2
ジャーナリスト志葉玲のたたかう!メルマガ
─ちょい過激に斬る社会問題・国際情勢
 
今週の政治
【実は自民圧勝ではなかった衆院選】
 
 「自民圧勝」とされる今回の衆院選の結果ですが、本当に「圧勝」と言い切っていいのか?まして安倍政権の政策が国民から「信任された」と言っていいのか?志葉としては、衆院選結果をめぐるマスコミ報道には疑問を感じます。まず、獲得議席数を観ていきましょう。

 自民 291議席(前回比−4議席)
 公明 35議席(+4議席)
 民主 73議席(+11議席)
 維新 41議席(−1議席)
 次世代 2議席(−18議席)
 共産 21議席(+13議席)
 社民 2議席 (増減なし)
 生活 2議席(−3議席)
 無所属 8議席(−6議席)

 投票日前、各メディアが「自民単独で3分の2を超える」「320議席に達する」等と報道しましたが、実際には自民党は、前回から5議席減(選挙後、新たに1人入党して4議席減になった)という結果でした。それに比べ、民主党は11議席増やし、共産党にいたっては選挙前の3倍近い21議席と大躍進。「消滅の危機」と揶揄される社民党も何とか持ちこたえました。安倍政権が不意打ち的に解散総選挙を行い、野党側の態勢が整ってなかったことを考えれば、野党側は善戦したと言えます。その一方、集団的自衛権の行使や改憲で安倍政権に協力するとみられる次世代の党は18議席減と壊滅状態。単独での3分の2獲得には至らず、次世代も壊滅。安倍自民党は改憲に慎重な公明党との連立を継続せざる得なくなりました。こうした結果からみれば、ぜいぜい「自民現状維持」、「安倍政権への批判票も増加」と言うべきであって、単純に「自民圧勝」と報じるのは、公平ではなく安倍政権に利する報道だと言えます。

 今回の選挙では、選挙期間中の報道にも大きな問題がありました。投票日前、「自民単独で320の議席を超えるか」と報じたマスコミ関係者は大いに反省すべきでしょう。バンドワゴン効果と言われる様に有権者は「勝ち馬に乗る」傾向があります。過度に自民の優勢を煽ったことが、「どうせ投票に行っても同じ」と有権者をしらけさせ、戦後最低の投票率を招いたのではないでしょうか。投票率の低下は自民党や公明党など組織票を持つ政党に有利に働くもの。元々、選挙前の各党の勢力の優劣を報じること自体、法律で規制している国々(ドイツ、イタリア、ベルギー etc)があるなど、投票日前の選挙報道は慎重に行うべきものです。実際の選挙結果に対し、世論調査による予測が大きく外れたことについて、マスコミ各社は過度に自民優勢を煽ったのではないかと猛省し、検証すべきではないかと思われます。

 安倍首相は、今回の選挙結果を受け、選挙前は争点としていなかった集団的自衛権や改憲について「信任を得た」と発言しています。相変わらずの二枚舌ぶりですが、圧倒的多数の議席を自民が維持していながらも、安倍政権が国民の信任を得たとは言いがたいのが現実なのです。北海道新聞は、自民党が今回、小選挙区で得た得票数は、全有権者での割合での絶対得票率で、24.5%にすぎなかったのに対し、議席の75.3%を獲得したと集計しています。何故、たった2割ほどの票で、7割超の議席を得てしまうのか。それは、他の党の候補より1票でも多ければ、その選挙区を独占できる小選挙区制度の問題にあります。一方、より民意を反映しやすいとされる比例代表制による議席獲得は、自民68、公明26、民主35、維新30、共産20、社民1。与党の94議席に対し、野党は86議席と拮抗しています。つまり、比例区では与党は野党と比べ10対9程度の割合なのに対し、小選挙区で与党(231議席)と野党(64議席)の割合は10対3以下と、大幅な開きが出てしまうのです。各選挙区の有権者人口に対し、1人あたりの1票の価値の差が2倍を超える、いわゆる「1票の格差」は最高裁でも違憲状態だとされましたが、小選挙制の死票の多さは「一票の格差」より酷い、とも言えます。全有権者の2割程度しか信任を受けていないのに、多くの国民が反対する改憲や集団的自衛権、原発再稼働などの重要テーマを勝手に決めていい訳がないでしょう。小選挙区制度による選挙自体がおかしなものであり、選挙制度改革が必要なのでしょう。また、自民党の絶対得票率は決して高くないのですから、「オール沖縄」で自民党を全敗させた沖縄での取り組みのように、野党側も政策での一致点を見つけ、互いに協力することが必要なのでしょう。
 
お試し読みはこちら>>
 
●ジャーナリスト志葉玲のたたかう!メルマガ
─ちょい過激に斬る社会問題・国際情勢

http://www.mag2.com/m/P0007817.html 
登録料:\432(税込/月額) 週刊
今、必要とされているのは、大局を見据え、タブーに臆せず、既存のジャーナリズムの限界を超えるべく果敢に挑戦していく「たたかうジャーナリズム」だ。
 
アンケートページはこちら
 
ちょい見せ! その3
NEWSを疑え!
 
開票速報…淋しいなぁ
【しがない軍事アナリストでなんとかやっております】
 
 知り合いの政治家で当選して国会に戻ってくる人、落選してうなだれる人の顔を思い浮かべるうちに、1976年12月の総選挙のことが浮かんできました。

 一般に「ロッキード選挙」と呼ばれる1976年12月の総選挙は、金脈問題で退陣した田中角栄前首相のロッキード事件への関与が発覚し、7月27日の逮捕に至る激動の中で行われました。ロッキード事件を追及しようとする三木武夫首相は自民党内の多数から「三木おろし」と呼ばれる猛反発を受け、解散権を封じられたまま衆議院は現行憲法下で初の任期満了による総選挙となりました。

 このとき、マスコミの目は台風の目ともいうべき動きに釘付けになっていました。結党半年で総選挙を迎え、大躍進が予想された新自由クラブです。

 新自由クラブは、1976年初夏、自民党の河野洋平、西岡武夫、山口敏夫氏ら政策集団・政治工学研究所に所属する中堅・若手の国会議員が、政治倫理をめぐって自民党を離党し、結成した政党です。10年後の1986年、自民党に合流する形で解散しました。

 私は講談社『週刊現代』記者としてロッキード事件を担当していましたが、同時に1976年初夏の結党直後から新自由クラブを担当し、河野洋平代表の神奈川県平塚市の自宅から国会に向かう河野さんの車に同乗し、横に乗って連載用のメモをとったものでした。

 選挙の結果、新自由クラブは大躍進。25人の候補者のうち17人が当選を果たしました。それだけ国民の期待が大きかったのです。

 いまから思えば、2009年の政権交代、そして民主党政権への国民の失望の大きさを示した2012年の自民党・公明党の政権奪回へと続く地殻変動を予感させる選挙でした。

 新自由クラブも国民の期待に十分に応えることはできず、1979年10月の第35回総選挙では31人の候補者のうち4人しか当選できず、その後、1980年8月の第36回総選挙で候補者25人のうち12人が当選と盛り返したものの、あとは8議席(候補者17人)、6議席(候補者12人)とじり貧の道をたどり、1986年には自民党と合流することになります。

 この新自由クラブは、結党からしばらくして3人の担当記者に政治家になるよう声をかけます。毎日新聞政治部の鈴木恒夫さん、朝日新聞政治部の若宮啓文さん、そして私です。

 若宮さんと私はジャーナリストの道を進むことにし、若宮さんはのちに朝日新聞の主筆を務めます。鈴木さんは河野洋平さんの秘書を経て衆議院議員となり、最後のポストは文部科学大臣でした。そして、私はその後も自民党などから政治家になるよう誘われましたが、そちらの道には進まず、ご覧のように、しがない軍事アナリストでなんとかやっております。

 私と政界との関係は、専門家の一員として関わることはあっても、そのくらいのものですが、選挙の開票速報をながめながら必ず頭に浮かぶのは、「あのとき政治家になっていたら、もうこんな当選回数なのか」という感慨です。

 誘いに応じていたら、おそらく1980年8月の第36回総選挙に出馬していたと思いますから、連続当選していたら同じ年に初当選した麻生太郎さんや菅直人さんとならんで当選11回です。お二人のように首相になることは考えられないにしても、ひょっとしたら防衛省や外務省で仕事をしていたかも知れないと、しばし妄想に駆られたりする瞬間です。

 そして、「ぼんやりしていると、ボケますよ!」との奥方の声で我に返ると、今度は言いしれぬ寂寥感に襲われる瞬間がやってきます。当時から知っている政治家が第一線を退き、一人もいなくなる瞬間が遠くない将来にやってくることを突きつけられるからです。

「いや、若手のことを考えていたんだ。安倍さんが安定政権で成功して、次は石破茂さんで、その次は西村康稔さん…。ずっと若い小泉進次郎さんの時代も遠くないかもね」

 ノスタルジーに浸っていた私が、とっさにごまかしたのを奥方はお見通しのようで、心の中で「バーカ」と呟く声が聞こえてきました(笑)。
 
お試し読みはこちら>>
 
●NEWSを疑え!
http://www.mag2.com/m/0001384571.html 
登録料:\1,000(税込/月額) 毎週月・木曜日
ビジネスで世界を相手に勝とうとすれば、メルマガが扱っている分野は絶対に知らなければなりません。とにかく1年間、読んでみてください。
 
■まぐまぐがお届けする東北の声  
まぐまぐがお届けする東北の声
 
 
【ちょい見せまぐ!】 2014/12/18号(毎週火・木曜日発行)
配信中止はこちらから
メールアドレスの変更はこちらから
ご意見&ご感想はこちらから
発行元 株式会社まぐまぐ
広告掲載をご検討の方はコチラよりお問合せください。
配送技術 株式会社アットウェア
「まぐまぐ」は株式会社まぐまぐの登録商標です
株式会社まぐまぐは、プライバシーマーク認定企業です
まぐまぐ

0 件のコメント:

コメントを投稿