皆様、女優の藤純子(ふじじゅんこ)さんをご存知でしょうか?『舞妓はレディ』で主人公の春子を教える凛とした女将を演じた方。今は富司純子(ふじすみこ)さんと芸名が変わっていますが、かつては藤純子と名乗って、大人気女優となった方です。 今回はその藤純子さんの代表作であり、僕がもっとも好きな時代劇を取り上げたいと思います。その名も『緋牡丹博徒』シリーーーーーーーズ。ひぼたん・ばくと、と読みますよ。 この映画、何がすごいって主人子の藤純子さんが美しいんです。とにかく、美しいんです。世の中にこんなに美しい人がいるのか! というくらい美しい。そして、可憐です。荒野に咲いた一輪の花、のように可憐です。白百合、いえ、まさに牡丹。それでいて、凛々しい。そこらへんの男なんて吹き飛ばすくらい凛々しいです。 藤純子さんは本作『緋牡丹博徒』で初主演、組長である父を殺された娘、矢野竜子という主人公を演じました。この時、藤純子さんはなんと23才。その立ち居振る舞い、所作、見栄の切り方、声。すべてが完璧です。女優としての、真・善・美があるとしたら、まさにこれ。完璧・オブ・ザ・女優。なんで世にこんなに完璧な女優さんが生まれたのでしょうか。 彼女が『緋牡丹博徒』で主人公デビューをする経緯には、当時の一流映画人たちによる並々ならぬバックアップがあったのです。まず、藤純子さんの実父は、映画プロデューサーの俊藤浩滋さん。昭和のヤクザ映画の傑作を次々と生み出した方で、後年にあの『仁義なき戦い』シリーズをプロデュースしています。つまり、純粋な映画人の娘として血を引き継いで生まれたわけです。 しかし、二世、三世のタレントや俳優がかならずしも成功する、とは限らないのが実力勝負の芸能界。最初は親のコネや縁故で出演できるかもしれませんが、そこから先は本人の力量しかありません。 藤純子さんは18才頃、東映京都撮影所に見学に行った折、ある有名な映画監督にスカウトされました。その監督とは『鴛鴦歌合戦』『次郎長三国志』などのマキノ雅弘。日本映画の黄金時代を築いたマキノ監督に見いだされ、その家で寝泊まりをして、女優としての修行を積んだとのことです。着物の着付けから日常的な所作、女としての色気の出し方など、徹底的にマキノ監督から叩き込まれたとの記録があります。 こうして、女優・藤純子の下地ができました。とはいえ、いくらいい女優でも、決定的な代表作と出会えず、不幸なキャリアを歩んでしまう人は少なくありません。当時の東映はその意味で最高の舞台を藤純子さんに用意しました。それが、『緋牡丹博徒』第一作目だったのです。 本作の脚本はなんと鈴木則文。後に『トラック野郎』シリーズを監督して一世風靡した人。この鈴木則文さんが「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子を作ったのです。しかも、なんとなく書いたわけではありません。「純子ちゃんの代表作にしよう」と決意して書いたとのこと。この映画はシリーズ化されますが、その内6本の脚本を書いてます。さらに、本作を監督したのは、山下耕作。任侠映画に芸術性を持ち込んだベテラン監督です。この方が監督した『博打打ち 総長賭博』は三島由紀夫が絶賛してます。 いやはや、しびれますね。映画プロデューサーのサラブレッドとして生まれ、日本映画史を背負ったマキノ雅弘監督が手塩にかけて育て、キャラクター造形に秀でた鈴木則文監督が脚本を書き、任侠映画に優れた山下耕作監督が演出した。ここにあるのは、日本映画の良い時代のリレーです。その結実として、女優・藤純子が生まれたわけです。 人を育てる、というのは、こうした先人たちの愛情深いリレーがあってこそ、ようやく可能になるのではないでしょうか。それは一人の女優を育てたことにはとどまらないはずです。人を育てる、とは、映画を育てること、文化を育てること。伝統を繋いでいくことです。 『舞妓はレディ』での富司純子さんの完璧な所作を、皆様、覚えているでしょうか。僕はあの所作を見た瞬間、『緋牡丹博徒』シリーズを思い出し、そこに賭けた映画人たちの愛情を想起して涙したのです。 余談ですが、共演女優に当時よく手を出していた梅宮辰夫・山城新伍さんも、「さすがに藤純子さんにだけは手を出せなかった」らしいですよ。なんてったって、これほどの映画人たちが育てた女優ですもんね! 【今日の教訓】愛情をもって人を育てられるような大人になりたい。 |
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