NEWSを疑え! | | わが「ガス天幕」体験 【催涙ガスで涙と鼻水の大洪水】 | | 11月6日号のストラテジック・アイでガスマスクを取り上げたところ、「知らなかった」という声が意外なほど寄せられました。 ミリタリーに関心を持っている人たちにはどうということはない話だったかも知れませんが、スイス連邦法務警察省の『民間防衛』(邦訳は原書房)や陸上自衛隊の『新入隊員必携』というハンドブックに出ているレベルの知識すら、日本では身近ではないということがわかり、特集してよかったと思っています。 TwitterやFacebookでは、自衛隊OBの皆さんから訓練を受けた当時の様子も寄せられました。 そこで、今回は私が受けたガスマスク装着訓練について、書いておきたいと思います。 私が満15歳で陸上自衛隊生徒教育隊(現在の陸上自衛隊高等工科学校)に入校したのは1961(昭和36)年4月のことで、ガスマスクの装着訓練は6月に小銃(M1ライフル)の実弾射撃訓練をはじめて行った前後だったように記憶しています。 少年自衛官といっても、特別職の国家公務員です。いざ有事には、国の防衛に役立たなければなりません。従って、最低限の戦闘能力は最初の3か月間に叩き込まれたというわけです。 そして、その通りになりました。前にも書きましたが、2年生の秋(1962年10月)のキューバ危機のときは、訓練名目ではありましたが、3日3晩を、あとは実弾を支給されるだけという完全武装の状態で待機させられたのです。 そこでガスマスク装着訓練ですが、内側をゴムでコーティングした8畳間ほどの広さのガス天幕(テント)に一人ずつ入っていきます。 テントの中は催涙ガスが充満しており、目を開けていられないのはもちろん、鼻からも口からもガスが入ってきて、涙と鼻水の大洪水。とにかく、目をつぶり、鼻と口を手で押さえてガスのなかを駆け抜けようとすると、漂うガスの向こうから高校のクラス担任にあたる区隊長(予科練出身のF1尉)と区隊長を補佐する助教(やはり旧軍出身のO2曹)が現れて、逃げようとする私たちを羽交い締めにし、催涙ガスの効果をたっぷりと教えてくれるのです。 区隊長と助教はガスマスクをつけていますから、催涙ガスくらいでは何ともないわけで、ガスマスクをつけて向き合っている区隊長と助教が、あんなに不気味で非情に見えたことはありません。頃合を計って放免してくれるまでの時間の長さといったら…、とにかく長かったです(笑)。 それが終わると、今度はガスマスクの装着訓練です。最初と同じようにしてガス天幕に入ると、助教から「ガス!」という号令がかかる。直ちに左肩からたすき掛けにし、右腰のあたりにつけているガスマスクの入った雑嚢状のバッグからマスク本体を引っ張り出してかぶり、鼻のところから延びている蛇腹状のホースをバッグ内のガス缶とつなぐ。これを8秒でできないと、やり直し。 直前に催涙ガスをイヤというほど味わわされたばかりですから、このガスが本物の神経ガスや塩素ガスだったらアウトだと思って焦るし、催涙ガスで目を開けていられないし、手探りで装着しようとしても、うまく8秒以内に完了できなかったことを思い出します。 それでも、何回かやっているうちにスムーズに装着できるようになりましたから、とにかく訓練して慣れることが大事だと、防災訓練のたびに周囲にも話し、自分にも言い聞かせているしだいです。 ガスマスク装着訓練を思い出すたびに、いまでも鼻がむずがゆくなってくるから不思議です。 | | お試し読みはこちら>> | | | | |
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