「この地域には、手つかずの現場が無数にある」と話す、現場リーダーの酒井真悟さん | | 津波でなくなった方の遺品が出てくる事もある。この日は、津波の時刻で止まった腕時計や、たくさんの食器がみつかった。 | | 「現場に来て、初めてわかった事がたくさんありました」と話す、初参加の大学生、和田望佑さん | | | | 被災地向けのボランティア・バスツアーを企画している大学生、田代直樹さん。震災後、被災地を目指そうとしましたが、現地へ行く"つて"もなければ情報もなく途方に暮れた経験を持っています。同じような思いの人たちが沢山居るに違いないと確信し、自らバスをチャーターし、ボランティアツアー「田代ジャパン」を立ち上げました(関連記事)。 今回は、7度目のツアーとなる宮城県南三陸町での活動現場を訪れ、参加者の声をお聞きしまた。
前日の雨もやみ、ようやく晴れ間ものぞきはじめた南三陸町戸倉地区。朝もやの中、海が目前に迫る空き地に、ガレキが積上っている様子がうかがえます。もとは個人宅の敷地だったというこの土地は、住人が亡くなったり高齢で土地を離れてしまい、放置されたままになっていました。被災地ボランティアを展開するNPO法人−DSP災害支援プロジェクトが近隣住民の要請を受け、今回ようやくガレキの撤去作業に入る事になりました。
「テレビのリモコンが、地面からにょきって半分突き出ていたり、私の実家にあるようなお茶碗がそのまま残っていて、生々しい"生活感"に圧倒されました」こう話してくれたのは、 今回初めての参加となった学習院大学の和田望佑さん(20)。「震災のニュースはテレビや新聞を見て知っていたつもりでしたが、ここに来てようやく津波の恐ろしさや沢山の人が亡くなったという事実を実感できた」といいます。 |
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