保護者や学校の先生とも意見を交換しながら、「子どもたちの教育に関わる支援」にニーズを見つけ、活動をシフトチェンジしていきます。2年目以降は「ビュートレス」という、特殊なクレヨンを使って窓に絵を描くワークショップや、子どもたちと一緒に将来を考えるワークショップを企画し成功させ、島の子どもたちとの関わりをどんどん深めていくことになります。 「支援者の視点から、島の視点へ」 「"我々は災害支援のプロフェッショナルです。この作業を手伝いに来ました!"と旗を掲げいた団体は、その作業が終息するとおのずと撤退していました」と神田さん。「僕たちは専門のない学生だから、"何か出来ることはありませんか?"と、常に島の人たちの話を聞きながら行動したので、こうして長い期間、活動を続けることが出来たのだと思います」と振り返ります。 1〜2ヶ月に1回のペースで、子どもたちを中心とした支援を続けているうちに、大阪に帰ることがもどかしく思えてきたという神田さん。島の人たちと濃密な交流を続けるようになり、気仙沼の魅力、島の文化の奥深さに触れ、震災以降に生じた課題にも島の人たちと同じ視点で考えるようになっていきました。「大阪からの通いでは、圧倒的に時間が足りないと感じ始めました」という神田さん。 いつしか、"大好きな大島の人たちと、この土地の未来をもう少し一緒に見てみたい"と言う思いが、募ってきました。 次号に続く・・・(取材/岸田浩和) | | 震災直後は、休日を利用して頻繁に大島へ足を運び、がれき撤去作業にあけくれました。 成り行きで子どもたちに関わるようになった神田さん。神田さんたちが企画した「運動会」や、「ビュートレス」という窓に絵を描くワークショップを通じて、子どもたちとの距離をちぢめていきました。 小学生の子どもたちに、島の歴史や魅力、文化を知ってもらうため、地域新聞づくりをスタートした。子どもたち自身が、島の取材を行う。 |
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